しかし、朝鮮学校の民族教育・・・
 エホバの証人の王国会館で行っている聖書教育に近いものは否定できない。

 朝鮮総連が北朝鮮の先軍政治を賛美して、朝鮮が核で自衛する権利は正しい!と朝鮮新報の女性記者と朝鮮大学校の教授が対談しているがこれほど恥知らずで呆れた朝鮮総連の態度は間違っている!ときっぱりいわせて欲しい。

朝鮮総連

朝鮮総連が北の核武装を正統化する主張:動画

 ⑤金日成の思想だというチュチェ思想の内容は「人間があらゆるものの主人であり、人民大衆は歴史の主体である」といいながら、その主体になれるのは金日 成・金正日の指導に従ったときだけであると説きます。

 そして、人には肉体的生命より大切な社会的政治的生命があり、それは社会的政治的集団の一員となって 領袖と組織的、思想的に結合することで得られる。大切な社会的政治的生命を人びとに与えるのは、社会的政治的集団の最高頭脳である領袖であり、その指導の もとにあってこそ、人は真の生きがいと幸せを得ると主張します。

 このように、チュチェ思想は人々が主人だといいながら、実際の主人は領袖一人であり、人々 はその指示にしたがって生きるように説くのです。ここにチュチェ思想の危険なカルト的性質(絶対者への忠誠心を植え付け、特異な教義に無批判に従わせる心理を作り上げること)が現れています。

 ⑦2012年1月にピョンヤンに行き、「迎春公演」の舞台に出演した東京朝鮮学校の生徒は、「将軍さまの遺訓を守って金正恩先生だけを固く信じ、従います」と決意を披露しました。演技と割り切っているのならまだいいのですが、本気でそのように思っている子供たちが育っているとしたら、教育ではなく、特定の人への精神的隷属を作る「カルト的洗脳である」と言わねばなりません。

 守る会パンフレット「朝鮮学校の秘められた目的・知られざる実態」発行 

 北朝鮮の生命と人権を守る会も朝鮮学校で行われている民族教育はカルト宗教の洗脳教育といわずして何と表現すればいいのか!と怒りの批判をいっているが、正しいのではないか?

 さながらエホバの証人が輸血拒否をするように奇怪な北朝鮮の独裁体制に従っている人間を作り出すようになれば非常に問題だろう。

 「将軍さまの遺訓を守って金正恩先生だけを固く信じ、従います」と朝鮮学校の学生が北朝鮮のピョンヤンで北の独裁を讃えていたとなればエホ証のように見事にマインドコントロールされたと批判されても当然だ。

 反対声明放棄は核兵器支援では


 鄭早苗さん(大阪、大谷大学教授)世界唯一の被爆国の植民地であったがゆえに被爆者になった在日コリアンは、核兵器に関して一歩も引けない立場にいる。

 それゆえに北朝鮮の核実験に関して、朝鮮総連が反対声明を出すのは義務である。しかし総連が、核兵器所有を肯定する北朝鮮の外務省声明などを日本語で披露している現状では、総連が核兵器を支持していることになる。

 今後不幸にして民族学校の生徒が暴行を受けるような事態になれば、総連としてはどう責任をとるのか。


 子どもたちへ嫌がらせ心配

 李正憲さん(55)=奈良・在日外国人保護者の会代表=緊張激化の度に在日コリアンに対する恣意的・意図的なバッシングが起こります。私たちの子どもたちを地域社会の相互信頼の力で守らなければなりません。子どもたちの未来には核も戦争も憎悪も不要です。

 北核廃絶へ声一つに 黙認の総連を批判

 民団も北朝鮮が軍事優先の先軍政治で核実験を行って、朝鮮総連が正統化する言動を取ったことは非常に許せない!と激怒しているが、正しいと思う。

 北朝鮮の愚かな核実験のせいで朝鮮学校の民族衣装のチマチョゴリ切り裂き事件がおきているとなれば、もちろん日本の右翼の人種差別主義者も悪いが、北朝鮮だって原因を作ったに決まっている。

 ともかく朝鮮総連が北朝鮮の核実験を正しいものと本末転倒の発言をした上で朝鮮学校の教科書無償化をよこせ!は誰が考えても間違った主張で到底、日本社会でも国際社会でも受け入れられるものではないだろう。

 朝鮮学校が民族教育で教科書無償化を実現したいのであればきっぱり北朝鮮の核開発は間違っていて教科書も様々な意見があって多様性を尊重していくものでないと駄目だと思う。

 朝鮮総連と朝鮮学校が北朝鮮の核開発を正統化して朝鮮の核保有は正しい、という間違った考えから朝鮮学校の教科書無償化を!という考えは初めから間違っているのではないか?


 朝鮮学校に民族教育を行う権利と教科書無償化をする権利もあるだろう。

 しかし、朝鮮総連が北朝鮮に盲従して核武装や核実験を正しいといいだして、朝鮮学校も北の核武装を正統化するような言動をとっているとなればあきらかに間違いであって民族教育とは程遠い。

 きっぱり朝鮮総連の間違った主張はエホ証の輸血拒否のように批判されて当たり前ではないかと思う。