エホバの証人はイエス・キリストの復活に関してたいして重要視していない。

 イエス・キリストは十字架ではなくて杭で死んだ、と考えている異端であるがゆえに正統のキリスト教の十字架と復活の考えはエホバの証人では無視していると考えた方がいい。

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 エホバの証人に関して復活で重要視しているのは楽園でエホバの証人が甦ることである。

 楽園でエホバの証人が復活を果たして永遠の命を得るためには王国会館に所属して、死ぬまで伝道の義務があってエホバ神に忠実でないと難しい。

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 だからこそ楽園で永遠の命を得るためにエホバの証人の伝道の義務を果たし、王国会館の集会に出席して子どもを連れて伝道していく組織のしばりがあるのだろう。

 組織を離れた人間はハルマゲドンの際にイエス・キリストが邪悪な人間とか大いなるバビロンの一味と考えてそのような背教者を滅ぼすことになっていると信じていてエホバの証人は組織を離れることに罪悪感をもつようになってしまう。

 加えて子どもの2世もムチで虐待してもエホバの証人の教えに忠実であれば楽園で生き返ると信じていて懲らしめのむち棒のような児童虐待も平然とするし、輸血拒否をして死んだエホバの証人も実は楽園ではもう永遠の命を得ているので組織は正しいことをしていると妄信しているということなのだろう。

 普通のキリスト教会では永遠の命は十字架で死んだイエス・キリストの死を理解して人間は罪がある限り、苦しみが永遠に続く、という考えで十字架と罪と永遠の命を信仰の対象にしている。

 しかし、エホバの証人にとってはキリストが十字架で死んだということはどうでもいいことで杭で死んだことになっている。

 反面、エホバの証人はハルマゲドンの到来をキリストの十字架のように信じていて、イエス・キリストの復活に相当するものが楽園でのエホバの証人の仲間と復活して永遠の命を得ることだと信じてもいるのだろう。

 キリスト教のイースターのような復活がエホバの証人の楽園に相当するような考えでもあるらしい。

 この辺の復活の考えは外からみれば理解できないが、一度、エホバの証人になって王国会館の国民になると楽園とハルマゲドンのアメとムチの論理で徹底的にマインドコントロールされるのはいいすぎだろうか?

 かくしてエホバの証人は楽園での復活を信じ、組織のとりこになって組織は、統治体は、エホバ神は・・・で王国会館の活動に依存するようになって楽園で復活して生涯、エホバの証人から離れないことが永遠の命を得ることだと勘違いしてしまうのだろう。