エホバの証人はやたらエホバ、エホバとうるさい。

 完全にマインドコントロールされたエホバの証人は何かといえばエホバのおかげだよねー!!なんていっているらしく、呆れたものなんである。

 何かといえばエホバのおかげ!とか、口を開けばエホバとなれば洗脳の結果、組織や統治体の奴隷になっていることだろう。

 こんな感じでエホバの証人の女性が自宅に二人組でやってくるがエホバのおかげだよねーといいながら日傘を差して夏場にとろとろ歩いている。

jw

 そもそも旧約聖書でも神の名前は人の前でみだりにいうべきではない!といってるわけであるが、エホバの証人は口を開けばエホバのおかげとか、エホバのご意思ということをいっているのは一体何なのか?

 要はエホバを崇拝していながらエホバを内心は軽蔑している深刻な矛盾を抱いているということではないか?

 正統のキリスト教の信者だってイエス様!とか聖書の御言葉とか新約聖書の話は周囲から気持ち悪いからやめろ!と思われて普段は人の前で話さないで宗教の話をするのは教会にいった際に仲間との交わりでしかしないという人が多い。

 イエス様!ってああ、エホバの証人と同じことじゃんか?といわれたくないので神とかキリストに対する信仰心は人の前では余り厄介事になるので口にしないものだろう。

 特に日本の場合、お釈迦様はフツーによくてもイエス様はやめろ!で偏見の目つきを浴びることが多いからだ。

 エホバの証人はすぐに日常会話でエホバのおかげとやたらエホバ神の名前を讃えて、加えて組織は統治体は・・・で全く、旧約聖書のエホバの義というか、神の義に反しているのではないか?

 最もエホバの証人の新世界訳聖書という偽者が組織崇拝のためのご都合主義の固まりなのですけどね。