エホ証の人生は異常極まりない。
 仕事よりも組織や統治体で王国会館の方が個人の人生設計より大切だという。

 王国会館でエホバ神と長老は洗脳もしているのだろうが、自分の方から王国会館が居心地がいいので住み着いているような人間が多い。

 元々、聖書には感心があったというのもあるだろうが、だんだんと王国会館という組織の居心地のよさを知ってまずは楽園の甘い密を知って世の人を軽蔑して働く意思を放棄して、世の人間はハルマゲドンで滅ぶべきであってエホ証だけが楽園にいければいいので王国会館に前面的に依存してしまうのではないか? 

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 大抵の1世の方々は、まず、王国会館という名前に驚かれたことだろう。
  さらに兄弟、姉妹と呼び合う習慣も不思議に思われたのではないだろうか。

 私も驚いたのだが、一番驚いたのは、学校を卒業しても、定職に就かずにいる人が多いことだった。  

 開拓奉仕、この言葉も異様なはじめて聞くもので、何のことやらわからなかったが、 その務めを果たすために、パートの収入だけで暮らしているというのである。 男性も、女性もだ。
 

 中にはこのような女性もいた 「開拓奉仕さえしていれば、仕事はしなくていいわ、とお母さんから言われたの。やっぱり神への奉仕が一番ですも の」正直、呆れた。  

 男性の場合、しょっちゅう建設奉仕だと言って、仕事を休み、遠くへ出かけていたようだ。
 あのように仕事をしょちゅう休むような従業員、いくら真面目に働いてくれたからといっても迷惑千番ではないだろう か、そう思っていた。  

 また、たまに代休が取れた平日に伝道に参加してみると、若い男の子たちが沢山いる。
 私は世の人の目をもって彼らを見る。昼間っから仕事もしないでほっつき歩いて、と思われても仕方ないな・・・ 彼らは、家の人たちからそう思われていることを、知らないのだろうか。  

 開拓奉仕のために、パートの仕事しかしない、という生き方は、私にはとてつもなく異様で恐ろしいものに思えた。 体の弱い私にはできないとも感じた。奉仕だけではない。

 仕事もし、さらに家事や雑事もこなさねばならないのだ。

 第七話   「異様な生き方」

  なぜ、異様な王国会館にエホバの証人は居場所を見出すのか?
  実は王国会館でしか自分を見出すことができないという弱さがあるからだろう。

  自分が弱い、ということであれば弱さを認めた上で自分は何をするか?を決めるのが人生だろう。

  宗教を信じるとしてもあくまで仕事はしっかりやる、とか、学歴がないならば資格を得たり、別の有名大学に進学したり・・・今の時代ならばITで起業だって考える人もいていい。

  だが、残念なことにエホバの証人はそのような人生が実に苦手らしい。

  何から何まで組織や統治体やエホバ神が信者に黙って楽園を与えてくれるのだからそれで満足して、楽園を与えてくれる組織を裏切ったらハルマゲドンで自分が殺されると妄信している。

 若い1世姉妹には、ある共通点があるように思う。寂しさをかかえている人だ。 子どものいる方々ならば、子育てについて何らかの指針が欲しいという方もおられるだろう。:

  独身の場合、何に惹かれるのか。家族に恵まれず、友達から裏切られ、失意に沈んでいる時などに、聖書の神は全人類を愛しており、世界的な兄弟関係、霊的家族をそなえておられるなどと聞くと、かなり魅力である。

 どこに行っても受け入れてもらえず、さびしい思いをしてきた若者は、ここならば、と思うのだ。 最初はいい。研究生時代はVIP待遇だ。何しろ躓かせてはならないのだ。彼らに親切にし、声をかけ、とにかく褒め る。

 そこで、初めて受け入れてもらえた喜びを味わい、神への信仰を持つのかもしれない。ただ、ほとんどの1世たち が早々と献身する中、私はどうしてもバプテスマに踏み切れずにいた。

 第二話   「研究の動機」

 エホバの証人は永遠に楽園が欲しい、楽園に永遠にいたい、と思うようになって国民年金も納めず、生活保護に依存するようになるのだが、また、王国会館に逆戻り・・・

 結局、自分の居場所は王国会館しかなかった・・・・
 そうして自然消滅の踏ん切りがつかなくてエホバに留まってしまう。

 自分で考えてエホバの証人の宗教活動を辞めるというか自然消滅は難しい。

 自然消滅にためにまずエホバの証人がすべきことは自分で人生を考える習慣を身に付けて組織の悪癖から足を洗うことではないか?