エホバの証人は破壊的カルトである。

 批判するキリスト教会は異端のエホバの証人に聖戦ということで徹底的に異端を糾弾しないと気が済まないようだ。

 JWTCなどのキリスト教でエホバの証人批判というか脱洗脳に取り組むグループはさながらキリスト教の信仰の押し売りのような部分もあるのは否定できない。

 日本でもエホバの証人をやめた人がキリスト教会で洗礼を受けて異端を撲滅してエホバの証人を地獄の底まで悪事を追求してサタンを糾弾するのが義務である!と思い込んでいるのはいただけない。

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つまり「勧誘される」ことにすさまじい抵抗がある時代です。

特 に個人顧客を獲得するビジネスでは、一昔前のように汗水流して飛び込み外回りをする営業マンの押しの強さや人柄に負けて・・という時代ではありません。 ネットを調べ、評判を調べ、自分で選ぶ時代です。そういう世の中の変化を先取りできる企業が成功しているのかもしれません。

JW組織も当初は否定的・限定的だったタブレット使用も全面解禁し、ようやくネット布教に力を入れていますが、遅れに遅れている感は否めません。

ローカル会衆では相変わらず、70時間、50時間、30時間、なんて一昔前の営業マン管理のような布教報告とランク付け制度を続けています。意欲を削がれまくりです。「神の命令だから」と悲壮感を漂わせた信者を集めても、もうそんな場所に魅力はありませんぜ。

ノルマ管理

 私の意見でいえばエホバの証人を辞めたらイエスの証人になれ!というのは独善的で傲慢である。

 宗教は大嫌い!でさながらイエスの証人という表現ではあるが、キリスト教会に強引に勧誘するような信仰の強制であることも忘れるな、は正しい。

 ということで大切な視点はエホバの証人の輸血拒否とかハルマゲドンとか布教の狂信性を批判することだ。

 イエスの証人へ!という言葉もまた、エホバの証人に入信せよ!さもなくばハルマゲドンで滅ぶで罪人なり!と同じではないか?

 イエスの証人とかキリストの証人でエホバの証人へ・・・の気持ちが分かるが、あくまでそれは本人の意思であり、エホバの証人を辞めたらキリスト教会で洗礼という義務はない。

 人生はじっくり考えよう!